大阪・十三 焼肉の請来軒 ブログ


大阪・十三 焼肉の請来軒のブログです。

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気を取り直して後半戦です。 またまた何気ない道ですがここが「トロトロ坂」で先ほどの蛍茶屋から一ノ瀬橋を渡り食違をクッと曲がった先の道で、長崎を離れる旅人にとって最初の難所だったそうです。

長崎を離れる気持ちと相まって旅人の悲壮感を増幅させる坂と言われましたが、こんな見所の連続に我々の辛さも増幅してきました(>_<)

心が折れかけているその時、我々の目の前に救世主が現れましたヾ(≧▽≦)ノ

特殊詐欺を防止する啓発ポスターにはナント長崎が生んだ大スター「前川 清」さんの雄姿が! ひょっとしてこのコース最大の見所はこの大御所なのか(?_?)

こちらは長崎市指定文化財の古橋(中川橋)で側壁石の工法に特徴があり、布石部分に入念な加工を施しかさ上げを行った当時では最先端の工法が用いられた橋です。

大阪から来た旅人が立っている付近が一の瀬口番所。

近辺に二本の大きな杉が立っていたそうで、夜間には治安維持のため木戸が閉められていたそうです。

大スター登場のおかげで、何となく観光ぽくなってきました(^^)/

江戸時代唐通事の別荘地であった鳴滝は京都の鳴滝に雰囲気が似てるところから名付けられた場所で、当時は清らかな水が流れる静かな田園風景だったといいます。

私は京都のとある大学に通っていてキャンパスは鳴滝の近くにありましたが、一度も本家鳴滝には行ったことがありませんでした。 まさか長崎の鳴滝に先に来るとは・・・

コースもいよいよ佳境に入って来ました。 こちらが日本近代医学発祥の場所シーボルト宅跡地です。

歴史の時間に習ったシーボルトは文政6年(1823年)長崎にやって来たオランダ商館医師で、彼の研究所として奉行所の許可を得て開設した「鳴滝塾」には全国から学者や門人が集まり近代医学を学びました。

シーボルトの足跡はお隣にある「シーボルト記念館」でたどることが出来ますが、館内は写真撮影NGです。 館内には外科道具や薬籠にシーボルトが着用していた洋服など関連資料も充実、学生時代に習った歴史がよ~くわかりますよ(^-^)

シーボルトの門下生に日本初の女医であるシーボルトの娘・楠本イネを養育した、江戸時代の蘭学者で医学者の二宮敬作がいます。

この偉人二宮敬作の出生地が伊予国宇和郡磯崎浦(現・愛媛県八幡浜市保内町磯崎)。 

文政11年(1828年)にシーボルト事件が起きシーボルトは長崎を去る事になりましたが、敬作は弟子の高良斉(こうりょうさい)とともに漁師に変装して小舟に乗りシーボルトを見送ったそうです。 この際にシーボルトの娘イネの養育を託され、その後敬作は事件に連座し、半年の入獄ののち江戸立ち入り禁止され長崎からも追放され故郷・磯崎に戻りました。

なぜここまで二宮敬作に食いつくのか?

二宮敬作の出生地を先ほどご案内しましたが、実はその前の道を50メートル上がったところに請来軒を起こした私の父の実家があるんです。 小さい頃は夏休み期間中この磯崎で過ごし、おばあちゃんから「二宮敬作」の話しをしてもらった記憶が今も残っています。

私の中ではうちの親父も二宮敬作も尊敬する偉人、大阪から遠い長崎で磯崎が生んだ立派な先輩に想いを馳せたひと時でした。

話しは元に戻しますが長崎県が考案した長崎さるく、巷のガイドブックよりも深く深~く掘り下げて街を歩けます。 JR長崎駅や長崎空港に着いたらいの一番に「長崎さるく」のパンフレットをゲットしましょう!

必ず旅の大きな味方になりますよ(^_-)-☆
 


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