大阪・十三 焼肉の請来軒 ブログ


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最近よく乗るのぞみ1号博多行き、今回も西に向かって旅に出ます。

が、デジカメを忘れる痛恨のミスを犯し写真はiPadに頼るしかありません(;_;)

福山でこだまに乗り換え、列車は一世を風靡した「ひかりレールスター」。

降り立ったのはJR三原駅、三原と言えばダルマとタコと三原やっさ祭りで有名です。

三原でもお約束の一枚ですがこれって人目につかない場所にあり、相方の嗅覚は故郷広島県に入ってからますます好調です(*´ω`)

乗換えまでの40分は観光案内所で教えていただいた三原天主台跡の見学、アプローチはJR三原駅の構内からとそんじょそこらの城址とは趣が違います。

永禄10年(1567年)頃に毛利元就の三男・小早川隆景が築城を開始し、小早川水軍の拠点として機能したのが三原城ですが現在その面影はありません。

三原城は海に向かって船入りを開き,城郭と軍港としての機能を備えた名城で,満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えたので「浮城(うきしろ)」と呼ばれていました。

その後,1894年には三原城本丸跡地に山陽鉄道の駅舎が建てられ,山陽本線と新幹線が本丸を貫き,今は天主台跡とそれをめぐる濠と船入櫓跡・中門跡などが残るのみになっています。

下から見ると周囲をお堀が囲みその中心には立派な石垣が鎮座。

新幹線の高架橋が石垣に食い込む衝撃の事実、小早川隆景公も築城時は思いもしなかったでしょう(._.)

新幹線を挟んだ反対側駅前ロータリーの先にあるのがかつては海に面し内堀に入ってくる船を見張っていた「船入櫓跡」、先ほどの天主台跡からここまで三原城だったのです。

現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていませんが当時は東西約900m・南北には約700mもの長さだったといわれ、この中に本丸・二之丸・三之丸があり櫓が32と城門が14もあるかなり大規模な城だったんです(;O;)

今や小さな公園に過ぎませんが敷地内にあるお城の絵図、これを見ると三原城の大きさがよ~~く分かるので必見(^^)/

三原国際ホテルの真ん前に建つ本丸中門跡の石碑、ホテルを支える立派な石垣に往時の面影が残ります。

静かな流れの和久原川沿いの民家の下はやはり石垣、かつての三原城この川が東端でこの石垣までが広大な三原城でした。

向かいは瀬戸内海に東西を貫く西国街道と交通の要衝だった「城下町・三原」、見学個所に派手さはありませんが歴史好きな方には見所が多い町です(^.^)


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